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マセラティ:モデナの怪物450S

The Le Mans 24 Hours; Le Mans, June 22-23, 1957. Juan Manuel Fangio?s last appearance at Le Mans ? the World Champion pulls down his goggles as he sets off for a run in the 4.5 liter Maserati 450S during practice. He recorded the fastest lap at 3?58.1? bu (Photo by Klemantaski Collection/Getty Images)

PASSIONE MASERATI
ファンジオ
ストーリー
デビュウ
最初の勝利
ミッレミリアでの最後のマシン
ルマンで最速

2度目の勝利と世界選手権での敗北

マセラティ450Sは優れた性能を持っていたにもかかわらず、スポーツプロトタイプ世界選手権に勝てなかった。ファンジオは怪物と呼ぶV8エンジンで400馬力以上を発揮するマシンを操作した。
1957年にはライバルより優れた性能により最高速320Kmに達したがタイトルの獲得には至らなかった。

ファンジオ:
450Sは耐久レースにおける技術知識など全く欠如したものであったが、対戦相手を退けましたがそのようなレースは稀でした。スターリング・モスはこのマシンを最悪のレースカーと定義したのである。

ストーリー:
450Sは耐久レース用に10台がファントッツィによって 作られた。 4,5LのV8エンジンは400馬力以上を発揮した。

デビュウ:
1957年1月20日に開催されたブエノスアイレス1000Kmプロトタイプスポーツカー耐久レースが公式デビュウとされる。ファンジオとモスによりドライブされ、フェラーリに2秒以上の差をつけて、予選をリードしたが、ミッショントラブルによりリタイアした。

昨年のマセラティデイより

最初の勝利:
ファンジオとジャン・べーラにより、セブリング12時間レース(3月23日)で勝利した。ジャガーDタイプは4周遅れの3位、フェラーリ315スポーツは10周遅れの6位だった。

Juan Manuel Fangio, Maserati 450S, 12 Hours of Sebring, Sebring, 23 March 1957. (Photo by Bernard Cahier/Getty Images)

ミッレミリアでの最後のマシン:
450Sは1957年5月12日にモスによるドライブが最後のミッレミリアにエントリーしたマシンとなった。

ルマンで最速:
ファンジオによりドライブされた450Sはサルテサーキットでのフリー走行で初めて平均速度200Kmを超えたルマンカーとなった。

2度目の勝利と世界選手権での敗北:
8月11日にモスとベーラによる450Sはスウェーデングランプリで2度目の優勝を果たす。1957年11月3日のベネズエラグランプで3台の450Sは全てリタイア。ここでスポーツカータイトルシップも失う。

450SのV8エンジンはその後、市販車5000GTに受け継がれ、レースは1962年まで縮小しながら続けられた。

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