今から56年前の1963年10月30日、プロトタイプの350GTV がデビュウしました。
フェルッチョ・ランボルギーニは1963年のトリノサロンを350GTVの発表の場として選んでいます。彼は、エンツォ・フェラーリのクルマに対抗するべく350GTVを誕生させました。
これは、フェルッチョが大いに成功した起業家としてのの物語とエンツォとの激しいライバル争いの最初の段階でした。その起源は、今ではスーパーカーファンにとって伝説となっています。
フェルッチョは、1960年代に成功した起業家でもありました。
終戦直後から、彼はトラクターと農耕機械の会社を立ち上げ、後にこの分野で最も成功した会社でした。彼はスポーツカーマニアでもあり、多くのスポーツカーを持っていました。アルファロメオ、マセラティ、ランチア、メルセデス、それに2台の全く同じフェラーリ250GTOがありました。
250GTOがクラッチ故障したとき、フェルッチョはメカニックに解体させたところ、なんとランボルギーニのトラクターと似ている部品だったのです。これをフェラーリに出向いて、クレームを申し出たら、
答えは
「フェラーリは全然大丈夫だ。フェラーリの所為ではなく、問題はあなたがトラクターしか運転できないことだ。」
“Le mie macchine vanno benissimo. Il problema è che tu sei capace solo a guidare i trattori, non le Ferrari”
と数々のエピソードの中にある一つでもあります。それにしてもそんなこと言われたら、誰でも頭に来るはずです。