ランチア:イタリア解放記念日

1945年4月25日。この日はイタリアの終戦記念の日で、解放記念日と言う。
多くの日本人は、8月15日の終戦記念日のこの日に先祖や家族を失った人々を悼み、平和への祈りを捧げることが一般的で、日本が過去に行った戦争の犠牲を反省する日であり、この悲しい過去を忘れずに、平和な未来に向けて願う日であるという認識であろう。
一方、イタリアの戦争が終わった日である解放記念日は、日本人の終戦の日のイメージとは異なる。
同じ枢軸国であり敗戦国のイタリアには別の背景があるのだ。イタリアは降伏したあと連合軍に占領され、逆にドイツへ宣戦布告と同時に、ファシズム・ムッソーリニとナチス・ドイツ軍が支配する北部イタリアと南部のCLN(イタリア国民解放委員会)を中心としたイタリア王国(共同参戦国)との間で内戦が続いたのだ。自動車の街トリノの工場でもファシスト勢力が強く、労働者たちは弾圧や虐待を受けていたのだ。しかし、イタリアが連合国側に転じると、労働者たちは反乱を起こし、ファシスト勢力を排除への動きが活発化してきた。

1945年4月20日、ランチアで働いている工員たちは工場内で武器を手に取り、ファシスト勢力に立ち向かい、この闘いは激しく、両者に多数の死傷者が出ることになる。しかし、労働者たちは最終的に勝利し、工場を解放することに成功したのだ。同時にトリノをはじめ北イタリア各地でもパルチザンによる反撃が優勢となり次々と街が解放され、勇気と決意を象徴する出来事として、多くの人々に讃えられたのだ。

その結果、イタリアの人々にとって戦争が終わった日とは、過去のファシスト政権による悲惨な出来事を振り返り、その克服への意欲を高める機会として捉えられている。この日には、イタリア人が平和、自由、民主主義を尊重する国家として、自己の歴史的責任を果たすことを認識する日でもあり、そして団結し、強い意志を持って未来に向けて前進することを願う日でもあるのだ。
何ともポジティブな祝日ではないか。終戦の日という暗く、辛く、悲しいメージはさらさら無い。

こんな歌もある。
この“Bella Ciao”はそんな反ファシズムの中心にいたパルチザンによって内戦中に歌われていた歌といわている。作詞・作曲者は誰なのかも不明。民衆の間で広まり、内戦が終わった後も「自由を勝ち取ったことへの讃美歌」といった意味で、イタリア人の誰もが知っている。



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