フェラーリの心臓を宿した、究極の「高貴なる野獣」は「前輪」で操るという、狂気と高貴の境界線のセダンである。
2026年、世界中のイタリア車ファンが静かに、しかし熱狂的に祝うモデルがあります。今から40年前、1986年のトリノ・モーターショー。世界を驚愕させた伝説のサルーン、ランチア・テーマ 8.32のデビューです。一見すると端正なエグゼクティブ・セダン。しかし、そのボンネットの下には、跳ね馬の紋章が刻まれた「禁断の心臓」が脈打っていました。

1. 名前の由来:8気筒・32バルブの衝撃
「8.32」というシンプルな数字。それは、ランチアの気品とフェラーリの情熱が融合した証でした。 V8 32V エンジン: フェラーリ 308 や 328 に搭載されていた 3.0L V8 ユニットをベースに、セダン向けにリファイン。 異例のFFレイアウト: フェラーリ製V8を「前輪駆動(FF)」で走らせるという、後にも先にも例を見ない野心的なエンジニアリングが施されました。

「クランクシャフト」のこだわり:328との決定的な違い。フェラーリ 328 と同じ V8 ですが、テーマ 8.32 のクランクシャフトは**「180度クランク(フラットプレーン)」ではなく、「90度クランク(クロスプレーン)」**に変更されています。なぜか?:フェラーリ特有の「甲高い叫び」よりも、高級サルーンに相応しい「滑らかさと低速トルク」を優先したためです。
結果:ドロドロとした力強い低音と、シルクのようにスムーズな回転域を獲得。フェラーリであってフェラーリでない、ランチア専用の「洗練された咆哮」が誕生しました。
2. 世界初、可動式「電動リアスポイラー」の魔法
テーマ 8.32を象徴するギミックが、トランクに格納されたリアスポイラーで、 控えめなセダンのフォルムを崩さぬよう、高速走行時のみ電動で立ち上がる設計。40年前でありながら、すでに現代のハイパーカーのようなアクティブ・エアロを採用していた先見の明には脱帽するしかありません。トランクに内蔵された電動リアスポイラー。これは単なるギミックではありませんでした。


フロントヘビーなV8 FF車は、高速域でリアがリフトしやすい弱点がありました。それを物理的に押さえつけるための解決策が、あの「飛び出す羽」だったのです。ワイパーレバーの先端を回すと「ニョキッ」と出てくる動作。このアナログな操作感こそ、デジタル時代の今、たまらなく魅力的に映ります。
3. ポルトローナ・フラウが仕立てた「移動する書斎」
外装がフェラーリなら、内装はイタリア家具の至宝ポルトローナ・フラウ(Poltrona Frau)は職人が手作業で仕上げた最高級の本革シートと、ローズウッドのパネル。フェラーリ・サウンドをBGMに、極上のソファに身を委ねて時速200km以上で巡航する。これこそが、当時のエリートたちが愛した「イタリアン・ラグジュアリー」の極致でした。内装のレザーも、実は現代の高級車とは一線を画します。


4. 2026年、私たちがテーマ 8.32を語る理由
フェイズ1 (1986-1988):触媒なしの215馬力。最も活気があり、内装の造り込みも過剰なまでに豪華。
フェイズ2 (1988-1992):触媒付きで185〜205馬力にパワーダウン。ヘッドライトが「猫目」になり、より洗練されましたが、狂気を感じたいなら「初期型」一択というマニアも多いです。
それは、**「情熱のためなら、非効率さえも美徳とする」**という、古き良きイタリアの精神が凝縮されているからです。整備性の難しさや維持の苦労さえも、「フェラーリをセダンで楽しむ」という唯一無二の体験の前では、誇らしいエピソードに変わります。
ランチア・テーマ 8.32は、工業製品としての合理性を完全に無視し、**「官能」と「格」**のためだけに作られた奇跡の産物です。
2026年、もしあなたが道端でこの車に出会い、トランクからスポイラーが立ち上がる瞬間を目撃したなら。それは40年前のイタリア人たちが夢見た、究極の「無駄の美学」に立ち会った瞬間なのです。
Credit: © Lancia S.p.A. Archives
