3月27日と言えば、イタリア車を愛する我々にとって、少し特別で、そして少し切ない記念日。今からちょうど71年前の1955年3月27日。春の陽光が降り注ぐトリノのヴァレンティーノ公園で、一台の革新的なマシンが歴史を刻んだのだ。
ヴィットリオ・ヤーノの最高傑作、ランチア・D50。
そしてそのステアリングを握るのは、イタリアの至宝、アルベルト・アスカリ。



ヴァレンティーノGPでの激闘:Lancia vs Maserati
この日開催された「第7回ヴァレンティーノ・グランプリ」。アスカリとD50は、予選から圧倒的な速さを見せつけポールポジションを獲得。サイドポンツーンの間に燃料タンクを配置するという、当時としてはあまりに前衛的なパッケージング。その低いシルエットの赤いマシンが、トリノの市街地コースを舞うように駆け抜ける姿は、誰もがランチアの時代の到来を確信させたのである。しかし、レースは決して楽な独走ではなく、背後にぴたりと付けアスカリを執拗に追い詰めたのは、マセラティ250Fを駆るロベルト・ミエレス。新進気鋭のD50と、円熟の250F。イタリアを代表する二つの情熱が、トリノの緑豊かな公園内で火花を散らしたのだ。
結果は、アスカリが27秒の差を守り切り優勝。3位にはヴィッロレージ、4位にカステロッティが続き、ランチア勢が表彰台を席巻。地元トリノのファンを熱狂の渦に巻き込んだ瞬間であった。
公園に残る「聖地」の痕跡と、その後の行方
現在、戦いの舞台となったヴァレンティーノ公園には、アスカリの功績を称えるプラーク(記念板)がひっそりと設置されている。美しいヴァレンティーノ城を背景に、かつてのコースレイアウトを想像しながら歩くのは、至福の時間ともいえ、筆者もかつてヴァレンティーノ公園を尋ね往時をしのんだ。


そして、あの日勝利を挙げたD50の「真の姿」を拝むなら、目的地は一つ。トリノ・ミラフィオーリにある**「ヘリテージ・ハブ(Stellantis Heritage Hub)」**行くべきである。ここには、後にフェラーリへと譲渡され「ランチア・フェラーリ」へと姿を変える前の、ヤーノの設計思想が純粋な形で保存された貴重な個体が収蔵されているのだ。もちろんD50のフロントノーズにはカヴァリーノ・ランパンテではなく、堂々としたランチア・スクードが燦然と輝いているのである。2026年の今年、Lancia創立120周年を迎えるにあたり、その存在感はますます輝きを放っている。


運命の分岐点
歴史に「もしも」はありえないが、この勝利からわずか2ヶ月後、アスカリはモンツァで不慮の死を遂げてしまった。エースを失い、財政難に陥ったランチアは、このD50をフェラーリへと託すことになる。「純粋なランチア」としての最後の輝きが、71年前の今日のトリノにあったこと。そしてその魂が、今もヘリテージ・ハブに息づいている。
Buon viaggio, Alberto. あなたの勝利は、今も色褪せることはありません。
ここに筆者がヘリテージハブでD50を見てきたので、short movieを貼り付けます。
