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デルタは今年で誕生から40年を迎えました。40年の歴史の中で2人の重要な名前があるのです。一人はデルタをデザインしたジョルジェット・ジウジアーロ氏です。もう一人は、言わずと知れた世界ラリー選手権で優勝したミキ・ビアシオン氏です。
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40周年を記念してトリノ・モンカリエリのイタルデザイン本社に、ジウジアーロ氏とビアシオン氏と共に40台のデルタが集まりました。
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デルタはデビュウ当時に、ジウジアーロによってデザインされた普通の保守的すぎるスクエアなデザインでした。デルタはフィアット・リトモに搭載されたエンジンと同じ1.3と1.5Lのエンジンでした。
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しかし、内装は一般的でない高品質な素材を使用していました。
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お蔭でデルタは平均的なランチア支持者から受け入れられました。特に中流階級の家族の人気に支えられ1980年には、ヨーロッパ・カーオブザイヤーを受賞して、更に販売を伸ばしました。
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1993年までに、様々なバリエーションが誕生しています。自然吸気の1.6LからHFターボエンジンは130馬力でした。ギリシャ向けに1.1Lのエンジンも存在しました。
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しかし、デルタを世界に知らしめたのは、4WDの登場したことによる世界ラリー選手権の制覇でした。1986年の秋に、デルタHF4WDは2.0Lの165馬力のターボエンジンはテーマと同じものでした。
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その後、4WDはデルタ・インテグラーレに進化し、ブリスターフェンダーとなり最終の エヴォルツィオーネ では最終的に215馬力に達しています。
ランチア・デルタとデルタHFインテグラーレは1987~1992年、WRC(世界ラリー選手権)で6連覇を成し遂げた栄光のラリーマシンでした。デルタによってドライバーズタイトルを、ユハ・カンクネンが1987年と1991年、ミキ・ビアシオンは1988年と1989年に獲得しています。