筆者が滞在していた期間は、おりしも映画「フェラーリ(原題)」のクライマックスシーンの撮影が、モデナの旧市街で撮影が始まった時期と重なった。これは丁度良い「渡りに船だ」と思ったのが早計だった。モデナの中心地のピアッツァグランデとピアッツァローマは撮影の重要ポイント。あらゆるところにバリケードの山。撮影シーンは全く見れず。。更に最悪なことに、中心部エリアがバリケードで封鎖されているので、銀行に行くにも、市場に行くにも、レストランに行くにも遠回りを強いられた。果たしてバリケードの内側の商店街はお客も来ない、人も通行できない状態だ。これが約1週間も続いたのだ。商売あがったり、日常生活に支障をきたしていました。補償をもらえればそれに越したことはないのだが、市民の方も役所に文句の一つでも言いたいくらいだと思う。
モーターバレーの街の宿命なのか、市民の人は普通に生活していましたが、かつては市街地そのモノがサーキット場だった時期もありました。。それにしてもこの映画の撮影の時代背景は1957年だそうで、エンツォにとっては試練の年だったということです。会社の経営危機、愛息ディーノの死、妻ラウラとの確執、ミッレミリアでの事故と不運の年でした。逆にマセラティは250Fでファンジオがワールドチャンピオンに輝いた年です。
筆者は滞在先のホテルからも撮影を見ることが出来ました。
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