この2週間ほど、話題に絶えなかったマセラティの進退問題、だが結局はなんとか持ち堪える会社なのだ。

何度目の危機だったのか?それほど過去には幾度となく訪れた危機を乗り超えてきたマセラティ。
一時はギブリⅢが沢山売れた時に黒字にもなった。しかし、それも束の間の出来事であった。普通、経営者として赤字であれば会社自体が整理されるのは当たりまえなのだが、マセラティは不思議なことに110年も存続できている世界でも稀に見る自動車会社だ。

実はここにマセラティの魅力の本質があるのだと思う。それは企業経営からすると数値化された部分が差し引きプラスにするという営利の判断基準で物事を進めるのだが、この数値だけを追求するならば、マセラティは既にこの世から消滅しているのだ。だがマセラティには数値化できない情緒的という目に見えない観点が企業継続の根底に存在するのだ。情緒的とは、マセラティ・各モデルに魅了される人が必ず一定数以上存在し、その人たちはいわゆるマセラティパッシオーネとして絶対に数は減らない。次にモデナを中心とするモーターヴァレーのエリアにあり、マセラティの工場と関連企業、下請け企業の地場産業のすそ野は広い。無くなれば雇用創出の機会を失い失業者が増える。モデナの人々は誰もがマセラティに何らかの関わり繋がりがあるので、日常生活の一部なのだ。だから誰もマセラティが無くなることを望んではいないのだ。国の雇用対策にも影響が出てくるので、マセラティが例え赤字だとしても、労働者の雇用は安定していることは、マセラティは一種の社会貢献しているともいえるだろう。これら様々な要因が混ざり合いイタリアの文化と遺産を守るというベクトルが働くのだ。また、ニュースではフェラーリ傘下にも属さないとアナウンスされたが、現実はフェラーリとマセラティは車で行けば30分もかからない至近距離圏内にあるので、フェラーリからのV6エンジンの供給は無くなったとはいえ、エンジニアをはじめとする人的交流は常にあり、下請けサプライヤーも同じ会社が多い。つまりマセラティはフェラーリ傘下ではないが、共有事項は多岐に渡るので、同じグループではないが、一心同体と解釈しても間違いではない。

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