トゥーリングは、その後パッシオーネに向けて数々のモデルを手掛けてきました。
ハドソンイタリア、アルファロメオ1900スプリント、アルファロメオディスコヴォランテ、ランチアフラミニアGTとコンバーチブル、アルファロメオ2000スパイダー、アルファロメオ2600スパイダー、マセラティ3500GTと続きます。ようやく戦中、戦後の苦難の時代を乗り越えました。
続いてアストンマーチンDB4やDB5、ランボルギーニ 350GTや400GTのボディにもスーペルレッジェーラによる制作に携わってきました。
しかしその後、フィアット124セダンのコンバーチブル版プロトタイプを製造したに及ばず、より大きいサイズに固執し、伝統的な手法と高い水準に執着した結果です。さらにミラノ近郊に新設した工場への多額の投資とスポンサーのキャンセルなどにより、店を閉じることになりました。
トゥーリングが最後に制作したモデルは、歴史上でも最も美しいシューティングブレイクと英国のグランツーリスモであるジェンセンインターセプターでした。