トゥリーング・スーぺルレッジェーラ、重過ぎるクルマとの闘い(2)

トゥーリングは小さな会社でしたが、最高の顧客のために、最高のカロッツェリアとして高度のレベルのサプライヤーを得ることになり、この分野で最も有名となりました。さらに航空機産業の仕事も受注して、カロッツェリアとしては初歩的な風洞実験室を工場内に設けました。そうして出来たスポーツカーがアウト・アヴィオ・コストルツィオーニ815でした。

瓦礫からの大いなる復活
第二次世界大戦は、トゥーリングにとって相当な痛手となっています。レースやクルマ作りは中止せざる得なくなり、代わりに軍の空挺部隊向け特殊な自転車を発明したりして、会社を存続させました。

トゥーリングは軍需産業を終わったあと、再びクルマ作りを再開させました。戦後のトゥーリングは、スーペルレッジェーラの技術でアルファロメオ6Cヴィッラデステやフレッチャドーロを製作し、成功を収めています。丁度、戦後の経済復興のお蔭で大きく成長して行きます。フェラーリ166にもトゥーリングが開発から関わりフェラーリの創成期時代に寄与しました。

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