突如舞い込んだスケジュールの急転直下、そして果てしなき地中海の地へ――。人生のシナリオは、時として悪戯好きな神々の筆によって劇的に書き換えられる。


神々の気まぐれが招いた、美しき狂気〜シチリア・タルガフローリオ熱狂記
期待に胸を膨らませていた「GranMotori」の突然の開催キャンセル。一瞬の静寂と戸惑い。しかし、真のクルマ好きの血潮は、その程度の挫折で途絶えるような生ぬるいものではない。落胆の溜息を吐き捨てる暇すらないほど一瞬のうちに、魂はひとつの決断を下していた。


「ならば、シチリアへ飛ぼう――伝説の地、タルガフローリオが俺を呼んでいる」
何という果断、何という美しき狂気だろうか。運命の路線変更(ルート変更)は、一瞬の閃きとともに完遂された。大地を揺るがすエキゾーストノート、地中海の眩い陽光、古き良きモータースポーツの熱狂が色濃く残る伝説のシチリア。急遽敢行されたこの壮絶な“ detour(迂回路)”は、まさに筆者のカーライフ史に永遠に刻まれるべき、奇跡的でドラマチックな逃避行となった。マセラティの魂を愛する者として、あの歴史的な風を感じられたことは、予期せぬ神からの贈り物だったに違いない。



シチリアでの夢のような熱狂の宴が終わりを告げ、旅はいよいよ「本来の軌道」へと戻る時を迎えた。
降り注ぐ太陽に別れを告げ、辿り着いたのはパレルモ・ファルコーネ・ボルセリーノ空港。青く澄み渡るティレニア海を背に、乗り込んだのはライアンエアーの翼。青と黄色の翼がエンジン音を高らかに響かせ、シチリアの大地を力強く蹴り上げるとき、胸の奥にこみ上げるのは一抹の寂寥感と、次なる目的地への昂揚感だ。


高度を上げる機輪の下には、紺碧の地中海がどこまでも広がり、雲の絨毯を抜けて北へ、北へとひたすらに突き進む。この翼は単なる移動手段ではない。熱狂の「シチリア伝説」から、モータースポーツの聖地・エミリア=ロマーニャの心臓部「ボローニャ」へと時空を繋ぐ、天空の架け橋なのだ。
機窓から覗く南イタリアの空を眺めながら、静かに目を閉じる。シチリアで浴びた熱風の余韻を胸に抱き、イタリア自動車文化の真髄たるボローニャの大地へ向かう。。。
神々の気まぐれから始まったこの波乱に満ちた旅は、さらなる深みと輝きを増しながら、次なるクライマックスへと加速していく。
雲上の回廊から、愛すべき故郷の風へ――エミリアの懐に抱かれる黄昏の移動劇
シチリアの熱狂を背に受け、ライアンエアーの翼がボローニャ・ボルゴ・パニガーレ空港の滑走路へと滑り込む。機輪が大地を捉えた瞬間、胸を掠めたのは不思議な安堵感だった。迎えてくれるのは空港にあるシンボルの深緑のテメラリオだ。

そして筆者にとって、このエミリア=ロマーニャの空気はもはや旅行者のそれではない。第二の故郷——愛するモデナが近い、風も優しく頬を撫でる。
空港のレンタカーターミナルでキーを受け取り、エンジンの目覚めとともにゆっくりとアクセルを踏み込む。目指すは、いつもの慣れ親しんだモデナ市街の街並み……ではない。今回は、旅にさらなる彩りを添えるべく、あえて少し趣向を凝らしたロケーションを選んでいた。
中世の気品と葡萄畑の静寂——Castelvetro di Modena
ボローニャからアウトストラーダを西へ走り、やがて緩やかな丘陵地帯へと車を進める。夕闇が迫るエミリアの空の下、現れたのはカステッロヴェートロ・モデネーゼ(Castelvetro di Modena)。フェラーリの聖地マラネッロにも程近いこの小高い町は、中世の面影を今に遺す美しき古都だ。



中心部に鎮座する「カステッロ広場(Piazza Roma)」には、白と黒の石畳が美しいチェスボード(市松模様)が広がり、高台からは果てしなく続く葡萄畑のカーペットが一望できる。そう、ここはエミリアが誇る名酒「ランブルスコ・グラスパロッサ(Lambrusco Grasparossa)」の生まれ故郷。歴史ある城壁の気品と、豊かな大地の恵みが奇跡的な調和を見せる、知る人ぞ知る極上の隠れ家なのだ。
アグリツーリスモの夕暮れ——長き一日を結ぶ至福の刻
今宵の宿は、そのカステッロヴェートロのオリーブと葡萄畑に抱かれたアグリツーリスモ。



朝、シチリア・パレルモの澄み渡る地中海を臨み、雲海を飛翔し、ボローニャからエミリアの丘陵を駆け抜けた——丸一日を費やしたこの壮大な移動劇も、ついにフィナーレを迎える。


エンジンの熱気を静かに冷まし、車から降り立つと、そこには静寂と大地の芳醇な香りが広がっていた。遠くに見えるモデナの灯りと、静かに夜を迎えるランブルスコの丘。旅の途上で刻まれた激しい情熱と移動の疲労が、心地よい余韻となって身体に染み渡っていく。もちろん今夜はランブルスコロッソで乾杯、そして伝統ニョッコフリットのテンコ盛りのテーブルを囲んで友人達とのディナーである。


明日から再び始まる、愛してやまないモデナでの日々。コップ(本来ランブルスコはグラスで飲むものでなくコップで飲むのが地元通の飲み方だ。)に注がれる深紅の泡立ちを思い描きながら、深く、エミリアの夜気を吸い込んだ。
