カリスマの残影を追う――狂気と哀愁のエミリア地景

イタリア・モータースポーツの聖地、エミリア=ロマーニャ州。この大地には、自動車史に不可逆の足跡を刻んだ二人の巨星の執念と情熱が、今も色濃く渦巻いている。

10月18日、ボローニャ空港に降り立った足で、まずは一路、フーノ・ディ・アルジェラートへと向かう。目指すは、サンターガタの本社博物館とは一線を画す「フェルッチョ・ランボルギーニ博物館(Museo Ferruccio Lamborghini)」だ。ここは息子のトニーノ・ランボルギーニが創設し、創業者フェルッチョ個人の魂と足跡を過不足なく保存したプライベート・サンクチュアリである。

館内に一歩足を踏み入れれば、そこは単なるスーパーカーの展示場ではない。まず目を惹くのは、創業の原点である色鮮やかで無骨なトラクター群だ。鮮やかなオレンジとスカイブルーのコントラストが目を惹く「224 LN」などの歴史的モデルが整然と並ぶ。終戦直後、軍用車両のパーツをかき集めて作られた「キャリオカ」をはじめとするこれらの農機具たちは、創業者フェルッチョが元来、土と機械を愛する叩き上げのエンジニアであったことを無言で物語る。  

その無骨な農機具たちの列において、ひときわ異彩を放つ一風変わった緑のトラクターが佇んでいる。鮮やかなライムグリーンを纏い、縦型のグリル開口部に押し込まれた2灯のヘッドライト。そこにあしらわれた格子の意匠は、まぎれもなく名車ミウラの流麗なアイライン「まつ毛(eyelashes)」そのものだ。  
看板に刻まれた「DL 25」の名と「1952-2022 / ANNIVERSARIO」の文字。これはアーティストのアーデル・カペッリ(Adler Capelli)の手によって生み出された「DL25」の生誕70年を祝うアートピースであり、元来の実用機にスーパーカーのDNAを融解させた遊び心溢れる作品だ。本来なら交わることのない農耕用トラクターとスーパーカーの象徴・ミウラが、ひとつの造形として融合した姿。フェルッチョという男が歩んだ泥臭い叩き上げの軌跡と、世界の頂点へ登り詰めた華々しい夢が同居する、何とも味わい深い一台である。  

奥に進むにつれ、その機械への情熱は「対フェラーリ」という執念の炎へと姿を変えていく。

館内の一角に静かに佇む一台の赤い「フェラーリ 250 GTE」。解説パネルには、ライバル関係の火蓋を切った伝説的な逸話が記されている。かつてフェルッチョが所有していた250 GTEのクラッチが度々故障し、自社トラクターのパーツで修理できることに気づいた彼がエンツォ・フェラーリに改善案を申し出たところ、「トラクター屋に何がわかる」と一蹴された。屈辱に耐えかねたフェルッチョは「自らの手で最高のスーパーカーを作る」と決意したという。その決意の証たる赤き250 GTEの背後には、創業者フェルッチョのポートレートが静かに見守り、最初の市販車「350 GT」が気品ある姿を現す。  

特筆すべきは、この地へと里帰りを果たした「ミウラのたたき出しアルミボディ」の生展示だ(パネルには『Lamborghini Jota』の名が刻まれている)。W氏によるハンマーひとつで金属板を叩き出し、流麗な曲線をうねらせた未塗装の裸の造形。その生々しい槌痕(つちあと)からは、伝説の名車が誕生した瞬間の狂気じみた熱量がダイレクトに伝わってくる。  

さらに、圧倒的な存在感を放つ巨躯「エスパーダ」や、鮮烈なイエローを纏い牙を研ぐ「ディアブロ」が独特のオーラを放つ。  

そして館内を進むと、一風変わった極めて特殊な車両が目に飛び込んでくる。白くコンパクトな車体にローマ教皇の紋章と「Tonino Lamborghini」の刻印が掲げられた電動の「パパカー(ポープモービル)」だ。シートには、かつてこの車に与えられた聖なる役割を証明するかのように、教皇ヨハネ・パウロ2世の額入り写真が飾られている。トニーノ・ランボルギーニの手によって生み出されたこの特別なお立ち台カーは、バチカンの大聖堂や広場で教皇が民衆に応えるために使われた歴史の一片であり、同社がスーパーカーや農機具の枠を超えてイタリア社会と深く結びついていたことを象徴する、異彩を放つコレクションである。  
レーシングボート用のV12エンジンやヘリコプターのプロトタイプまでが整然と並ぶこの空間は、まさに「フェルッチョという一人の人間の脳内」をそのまま立体化したようなカオスと美学に満ちあふれていた。  

翌19日。空は重く垂れ込め、静寂が街を包んでいた。

モデナ駅から西へ車を走らせると、サン・カタルド共同墓地(Cimitero di San Cataldo)に辿り着く。整然と広がる墓所の奥深くに鎮座するのは、荘厳なギリシャ神殿を思わせる重厚な石柱が列をなす、フェラーリ家の巨大な一族の墓所(Mausoleo Ferrari)だ。  

正面の刻印「FERRARI」を頭上に仰ぎながら扉へと近づくが、厳力な鉄格子には頑丈なカギが掛けられており、立ち入ることは叶わない。ガラス越しに覗き込むと、奥の静けさの中にエンツォとディーノのモノクロの写真が、かすかに、しかし確かな存在感をもって並んで掲げられているのが見て取れた。  

墓所の静寂の中に佇むと、冷たい石の感触とともに、この男が背負い続けた栄光と、それ以上に深い「孤独」の重みが胸に迫る。
エンツォの傍らには、最愛の息子、アルフレード・“ディーノ”・フェラーリが静かに寄り添っている。
1932年に生まれ、エンジニアとして父の期待を一身に背負いながらも、筋ジストロフィーという不治の病により24歳という若さでこの世を去った若き天才。病床にあってもV6エンジンの構想を語り続けたというディーノの命の灯火は、後に「Dino 206/246GT」という至高の名車として結実した。
レースでの勝利だけを渇望し、狂気とも言える執念で帝国を築き上げたエンツォ。だが、最愛の息子を失った傷は終生癒えることはなく、彼は常に漆黒のサングラスの奥に深い悲しみを隠し続けていた。
トラクターからスーパーカーを生み出し、己の美学を貫き通したフェルッチョ・ランボルギーニ。
最愛の息子を失う痛みを抱えながら、栄光の赤い帝国を築き上げたエンツォ・フェラーリ。
二人のカリスマが残した機械の鼓動と、固く閉ざされたガラスの向こうに眠る墓標。
エミリアの大地を駆け抜けた旅は、彼らが命を削って遺した歴史の重みを、胸に深く刻み込むこととなった。

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